伊右衛門プロジェクト6

皆さん、こんにちは。

先日、伊右衛門プロジェクト、今年最後の稽古がありました。

またまた全員は集まれませんでしたが、いつも通り、できるシーンを丁寧にさらい、演出のイメージとのすり合わせを行いました。

この伊右衛門プロジェクトは、9月公演の中止が決まった7月から1ヶ月に1回ずつ集まっての稽古を続けてきました。なので、いつもの集中稽古とは違い、ある意味余裕があります。

役者陣には考えてきたことを試す場として、有効に使ってもらっています。

さて、今回はとても興味深い、私たちがやっていることの根幹にかかわる、とても良い稽古ができました。

どういうことかというと…ある役者さんが、地の文を含めて、ひとつの章を丸々暗記してきたのです!

その能力の素晴らしいこと!

かなりの分量があるのですが、たまたま他の人がほとんど出てこないシーンなのです。

それを…すべて覚えてきました!

それ自体は、本当に素晴らしいことです!私はやろうとすら、思ったことがありません(^^;;それを実際に体現してくれました!本当に素晴らしいことです!

でも、この「丸々暗記する」ということは、ある意味、リーディングトリップ・シアターに対するアンチテーゼです。

「覚えられるんだったら、覚えた方が伝わるんじゃないの?」

「覚えられないから、本を持ってるんじゃないの?」

ということですね。もちろん、別に彼がそう思っているわけじゃありません。でも、彼が「こんなこともできますよ」とやって見せてくれたことで、私たちはこの問いに答える必要が出て来たということです。

彼のパフォーマンスは暗記してきた、ということだけでなく、表現という意味でもとても素晴らしかった。本当にすごいと思いました。

ただ、もう手放しで良かったかというと…そうでもなかったんですよね。このあたりに、問いに対する回答があるんだと思います。私もまだ手探りな部分もあるのですが、気がついたことをまとめてみます。

ひとつには、ベクトルの問題を感じました。

一人称ではありませんが、そのシーンは登場人物自身のことがずっと書かれています。だから、自分で内省している…という風に表現してくれたんですが、お客さまの側から考えると、ひたすら自分の内側を向いて悩んでいる、考えている人をずっと見るということになります。

これは実際に見てわかったことなのですが、人は自分自身にだけ語り掛けている人をずっと見ていると、自分に言われている気がしないので、ちょっと気持ちが離れてしまうものなんですね。これはもちろん、モノローグとして書かれた芝居用のセリフなら違うと思います。小説を読むということとして考えると、ということです。

彼の表現は素晴らしのですが、その感情を表す方向が、やはりもう少しお客さまの方を向いてくれないと、物語の中にお客さまを巻き込むという意味では、弱いのかなと思いました。

もうひとつは、このリーディングトリップ・シアターという表現方法は、「読む」という客観的な要素がうまく組み込まれているから面白いのかもしれない、という気付きです。

お芝居のように、自分のセリフとして地の文を読むのとは違う、読むことで自分も(役者も)客観的になるところと主観的になるところが生まれ、そのためにセットのない空間の中に自分で自分が演じる額縁を作っていくような…そんな見世物になると面白いのかな、と思ったのです。

このあたりは、今まで感覚として「面白い」と思っていたのですが、彼が見せてくれたパフォーマンスによって、Mido Laboが目指すところがはっきりしてきた気がします。

何度も言いますが、彼のパフォーマンスは本当に素晴らしかったんです!

今まで誰もやろうとも思わなかったことを、いとも簡単にやってくれました。その実力や、恐るべし!

その中でMido Laboのパフォーマンスの意味を改めて考えるきっかけになったということで、本当にこの日の稽古は充実した、深いものになりました。

改めて、どんどん自ら考えて来たことを表現してくれる役者陣に、感謝です!

延び延びになっていました公演の期日ですが、ようやく決まりました!

事情で今回はお伝えできませんが、来年、年が明けてから早い時期にお伝えしたいと思っています。もう少々お待ちください!

さて今年は一度も公演を行うことができず、皆さまにもお会いすることができない、という年になってしまいました。本当に残念ではありましたが、もちろん後悔はありません。

来年は皆さまに舞台をご覧いただけるような、落ち着いた年になるように、心から願っております。

本当に今年一年、ありがとうございました!

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

それでは皆さま、良い年をお迎えください!

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